木 村 友 浩 頭痛治療
昭和35年5月4日生
東京都杉並区出身
小学生の時から始まった頭痛は大学生、就職を経て、年々悪化していました。
頼れるものはバッファリンと暗い部屋、それと本屋で偶然手にした『頭痛』という本。
『片頭痛』という病気であることを30歳で知り、長年の不安が1つが消えました。
それから10年。トリプタンが出たときは救世主だと思ったのですが・・・
薬を飲んでも朝から頭痛
40歳で東京から山梨県八ヶ岳山麓に移住。
抜群な環境にいても、頭痛は治まらず、痛みと不安で鎮痛剤を持ち歩きました。
ひと月に20日以上も薬を使い、毎日、明け方に頭痛で目が覚める日々・・・・
「もう、薬に頼らず自分で頭痛を治そう!」そう決意したのが45歳でした。
お酒・煙草をやめ、玄米菜食に変え、 薬・カフェインも極力使用を控えました。
頭痛に効く整体スクールに通い、ストレス軽減のためカウンセリングを学びました。
頭痛があるのが当たり前、逆に頭痛がない日はいつ頭痛が来るのか不安になる。
そして、大きな発作が来くれば無力感に襲われました。
こんなに努力しているのに・・・・改善の兆しがみられない。そして、また、いつものように薬に頼っていました。
断食(だんじき)で?頭痛が消えた
食事療法の一環で、一週間の断食と早朝のウォーキングを行うことになりました。
予想に反して、一週間の断食後も体調が良く、さらに断食を継続することにしました。
そして、2週間経過した朝、ウォーキングをしながらふと気がついたのです。
「そういえば、毎朝あった頭痛がないっ!」。
そして1ヶ月が過ぎ、2ヶ月過ぎて断食は終了しました。
この断食を辞めて半年過ぎても 頭痛で早朝目が覚めることがなくなりました(注1)。
そのうえ、週末や天気が崩れても 酷い頭痛が来なくなりました。
そして、頭痛がないことに だんだん不安になってきました(笑)
断食終了後丸一年が経過し、やっと「私は頭痛から解放された!」と確信がもてました。
嬉しくて、信じられなくて、でも現実として起こった、事実でした。
『偏頭痛は遺伝病だから治らないもの(注2)』「うまく付き合っていくしかないもの』から
『偏頭痛だって治すことが可能なもの』という考え方に変わっていきました。
自分の多くの失敗や多くの学びをどこかで生かすことができないだろうか・・・・
そんな思いが 頭痛治療家としての心の芽生え だったと思います
「日だまりショット」との出会い
健康と食をコンサルタントをする『食と生活文化研究所』を開設しました。
半年が経過した頃、一通の広告に目が留まりました。
色々な整体技術のDVDの紹介の中に『頭痛改善の極意』がありました。
なんとう偶然、求めたいたものがやってきた!
この先生に直接会って頭痛治療について話を聞きたい一心でした。
連絡先がなかなか分からず、結局制作会社を通じて先生に辿りつきました。
蒲郡市の『日だまり整体院』をやっている院長、日比大介先生でした。
先生を訪ねて、蒲郡に伺った待合室での患者さんからのお話です。
「先生がお守りみたい、安心してどこでもいけます!」
『日だまりショット」こそ 頭痛治療を実現する真心の技術なんだ。
そして、頭痛患者の治療こそ自分に与えられた使命だ!と。
その日のうちに日比先生が主宰する頭痛治療家育成塾『日比塾』への入塾をお願いし、研修がスタートしたのです
自分の健康は自分でデザインする。そして実践!
健康のあり方、目指したいゴールは人それぞれです。
自分なりのウエルネスをデザインして、主体的動いて達成する。
これがウエラボの基本コンセプトです。
医療者と患者という受け身な治療習慣から抜け出し、『積極的』にトライ&エラー
「HIDAMARI Shot」を世界へ!
日本を訪れる海外旅行客は2016年始めて2000万人超え(2018年は3000万)
そんな海外の方が「観光+頭痛治療」のために山梨に足を運ぶ・・・
もちろん 国内の遠方の方が宿泊しながらの集中的に頭痛治療に取り組む
それが開業当時、僕が描く未来風景でした。
そして、2020年、東京オリンピックを目前に、新型コロナウイルスの広がりで、社会は閉鎖状態となっています
西洋医療が進歩しても、新たな病はやってくる。医療は万能ではありません。
今こそ、医療者、治療家、運動指導者、あらゆる分野の垣根を越えて、ウエルネスを再構築する時期なのです。
そんな頭痛治療・ウエルネス実践のメッカづくりに皆さんのご支援 ご協力が頂ければ心強い限りです
ウエラボ整体院 院長 木村友浩 2020年4月