木 村  友 浩   脳の健康の専門家

 昭和35年5月4日生

  東京都杉並区出身 

 

頭痛は小学生の頃からたまにありました。頭痛持ちだった母に言うと富山の薬箱から

ケロリンという苦い茶色い粉薬をくれました。

父に頭痛があるというと怒るので、頭痛があっても人に言わないようになりました。

 

中学生の頃に激しい頭痛と吐き気で1週間学校を休みました。

大学病院で検査をしましたが原因不明、『風邪』だろうの一言ですまされました

 

高校の頃からたまにお酒を飲むようなって、お酒が痛みを強くすることを知りました 

大学は主に臨床検査技師になる方が多く学ぶ学科で、血液や生理学、微生物学、生理学

など様々検査を学びましたが、痛みに関する検査は世の中にありませんでした

 

就職は大手繊維メーカの医薬品研究所。滋賀県大津市で琵琶湖の湖畔に研究所がありました

新薬の開発のための動物実験をしつつ、原因のわからない自分頭痛と戦う日々でした

 

ある日ふらっと地元の本屋に入って目に留まったのが『頭痛』(寺本純)という本でした。

その中で紹介されていた患者の日常は自分自身の頭痛で苦しむ生活と瓜二つでした

 

「そっかぁ、自分は『片頭痛』という病気だったんだ!」 

なんだか、嬉しくて、母にも「頭痛は病気だったんだよ!」説明しました。

 

30歳でやっと頭痛の原因にたどり着き、長年の不安が1つが消えました。

早速、専門医を受診し予防薬をもらうも、目立った効果はなかったと思います

 

それから10年、

待ちに待ったトリプタン製剤の発売でこの頭痛から解放されるはずのですが・・・

 

薬を飲んでも朝から頭痛

薬は頭痛を治さない これは薬の研究開発に携わってきた自分としの結論でした

対処療法の医療から体質改善へ生活をシフトするため、40歳で勤めを辞めました。

 

子供のころから興味のあった農業を始めたいと決意して山梨県の八ヶ岳の麓に移住。

心地よい風を感じる抜群な環境で暮らしても、頭痛は治まりませんでした

毎日、明け方に頭痛で目が覚める日々・・・・薬を飲まない日は月に数回だけ

結局、トリプタンと鎮痛剤を持ち歩く生活が続いていました。

 

「もう、薬に頼らず自分で頭痛を治そう!」そう決意したのが45歳でした。

 お酒・煙草をやめ、玄米菜食に変え、 薬・カフェインも極力使用を控えました。

腰痛と頭痛が治ること期待して整体のスクールに通いました。

ストレス軽減のため心理カウンセリングを学びました。

 

頭痛があるのが当たり前すぎて、頭痛がない日はいつ頭痛が来るのか不安になる。

そして、大きな発作が来くれば無力感に襲われました。

こんなに努力しているのに、改善の兆しがみられない、、、、

 

断食(だんじき)で?頭痛が消えた

食事療法の一環で、一週間の断食と早朝のウォーキングを行うことになりました。

予想に反して、一週間の断食後も体調が良く、さらに断食を継続することにしました。

 

そして、2週間経過した朝、ウォーキングをしながらふと気がついたのです。

「そういえば、毎朝あった頭痛がないっ!」。 

そして1ヶ月が過ぎ、2ヶ月過ぎて断食は終了しました。

 

この断食を終えて半年過ぎても 頭痛で早朝目が覚めることがなくなりました(注1)。

そのうえ、週末や天気が崩れても 酷い頭痛が来なくなりました。

 

 でも、頭痛がないことにだんだん不安になってきました(笑) どう再発するだろうと

断食終了後丸一年が経過し、やっと「私は頭痛から解放された!」と確信がもてました。

 嬉しくて、信じられなくて、でも現実として起こった、事実でした。

 

『偏頭痛は遺伝病だから治らないもの(注2)』「うまく付き合っていくしかないもの』から

『偏頭痛だって治すことが可能なもの』という考え方に変わっていきました。

そして、自分の多くの失敗や多くの学びをどこかで生かすことができないだろうか・・・・

頭痛で悩む人を助けたい、そんな心の芽生え だったと思います

 

「日だまりショット」との出会い

何かを始めたい!そんな思いで会社勤め(健康食品の開発)を辞め

健康と食をアドバイザー、技術士事務所『食と生活文化研究所』を開設しました。

半年が経過した頃、一通の整体技術のDVD広告に目が留まりました。

何気なく見ていると、『頭痛改善の極意』というDVDががありました。

 

なんとう偶然、求めたいたものがやってきた! 

この先生に直接会って頭痛治療について話を聞きたい一心でした。

連絡先がなかなか分からず、結局制作会社を通じて先生に辿りつきました。

 

蒲郡市の『日だまり整体院』をやっている院長、日比大介先生でした。

先生を訪ねて、蒲郡に伺った待合室での患者さんからのお話です。

 

「先生がお守りみたい、安心してどこでもいけます!」

この言葉を聞いて確信したのです。

『日だまりショット」こそ 頭痛治療を実現する真心の技術なんだ。

そして、頭痛患者の治療こそ自分に与えられた使命だ!と。 

その日のうちに先生に指導をお願いして、頭痛治療家研修が始まりました

 

自分の健康は自分でデザインする。そして実践!

頭痛から話は離れますが、家族は家内と息子の3人暮らしです。

なかなか授からず、長年の不妊治療で諦めかけていたころ、やっと授かりました

 

家内は大変喜んでいました。それも束の間、障害の可能性を指摘されました。

50%の確率で障害の可能性あり、生むかやめるか選択に迫られました。

私は当時47歳、家内は40歳になる頃です。

 

独り立ちできるかどうか分からない子供を育てるには年齢的にも

社会環境的にも厳しいとの不安がある一方、授かった子供を産みたい

 

それは親のエゴかもしれないという思いが錯綜しました

考えて、考えて出した結論は、やっぱり赤ちゃんを迎えるという選択 

 

障害あがあったとしてもその子のキャラクターの一部と考える

そんな海外での事例を知ったことが決断を後押ししました。 

 

子供のことや自分の頭痛のことを考えながら、人知れずいろいろな

ハンデキャップや苦悩を抱えている人は、たくさんいるはずだ

 

生まれつきまたは事故や病気で心身機能の一部が低下した状態から

何がなんでも『無病息災』を目指さなくてもよい 

『一病息災』『二病息災』だって十分ありだなっと思うようになりました

 

だから、どんな人でも自分なりの幸せ(ウエルネス)をデザインすればよい

その目標に主体的動いていくことで、充実した生活は達成できる 

 

ここにウエラボの基本コンセプトがあります。

Wellness Design Laboratory  健康と幸せは自分で創るものなんだ 

 

スケートの金メダリスト 小平奈緒選手談 『与えられるものは有限、求めるものは無限』

 

食を通じて、健康づくりに貢献する

「食と生活文化研究所」を2016年に設立。食を通して健康づくりを推進する 

 

頭痛で悩む方の日常の困りごとを解決する

未来のお母さんに元気な赤ちゃんを授かる食事を伝える

この2つ使命を担って活動を開始しました

 

その後開業してウエラボ頭痛整体院では、2,000名余の頭痛・めいま患者さんに

接してきました。中でもここ数年は、朝頭痛で起きれない起立性調節障害(OD)で

悩む中学生、高校生が増えています。

 

授かる命と次世代を担う子供たちのためのサポーターとしても役立てるように

食と心理面からのサポートをより強化していきたいと考えています

 

ウエラボ整体院 院長 木村友浩  2023年6月